160日後に死ぬブロガー
「生きていて何が楽しいのだろう」
起きて、食事をとり、社会に出て、社会の中で自分を演じ、時間になったら帰宅し、食事をとって、寝る。
変わらないい毎日の繰り返し。
楽しみもない日々。
周りの人たちは、日々生きることに疑問をもったことはないのだろうか?
みんなは、毎日どのような希望を持って、普通な顔をして、笑って、生きているのだろう。
生きていることが、辛く感じないのだろうか。
何が楽しくて毎日生きているのか分からなくて、悩んだ。
初めてこのことについて悩んだのは、たしか小学3年生の時だったと思う。
悩みぬいた末に、学校の面談で担任に最後に悩みはあるか質問はあるかと聞かれたときに、思い切って質問した。
「先生は、毎日生きていて楽しいですか?」
担任は、一瞬固まって、しどろもどろに「美味しい物を食べたり家族や友達と話すと楽しい」というようなことを答えた記憶がある。
きっと本心ではないのかもしれない。拗らせた子供の戯言を適当にあしらったのかもしれない。
しかしこの人は日々の生活で楽しさを見いだせる側の人なのかと思った。
生きることに対して辛い気持ちにならない人なのかと思った。
担任の言葉には共感できなかった(他人を時間を共有し人間関係を維持することに喜びを感じれなかった)ために質問の回答に落胆した。
私の悩みは共感されるものではないのか。
この辛い気持ちの解決の糸口はないのだろうか。
後日、母に「生きていて楽しくない」と話した。
母は黙って、力強く私を抱きしめたのだった。泣いていたと思う。震えていたように思う。
私は、無言であった母からは有効な回答が得られなかったため解決策を見いだせず、他人に体を触られることに気持ち悪さを感じながら、より深く絶望した。
(今では、このときの母の行動が母なりの愛情表現だったのではないかと思うが)
紆余曲折あり30歳の今。
やはり8歳のころから考えが変わらない。
「生きていて、楽しくない」
「ただ生きることが、拷問のような毎日」
あと何年役割を演じたら、義務を全うしたら、楽になれるのだろう。
一日でも早く楽になりたい。
ゆっくり、休みたい。